「産後数日は、子宮の戻りが悪くなるから髪を洗ってはいけない」昔はそう言われたらしい。
もしかしたら「体力の消耗を避けるため洗髪はしないよう」との教訓なのかもしれない。 だが、体力の消耗のみ考えれば入浴もタブー視されるはずだ。
髪と子宮は連絡している、つながっていると考えられていたのだろう。 同様に、食べ物を摂取し排池する通り道の、両先端にある歯と生殖器とが、互いに深く関連していると考えれば、卵巣から、歯や髪の毛が出てくることは納得がいく。

昔に比べ、現在の公衆衛生は向上した。 反面、空気や自然水は汚染されている。
環境ホルモンなんて言葉、昔はなかった。 食べ物には添加物が、肌に直接つけるものには科学物質が、水には塩素が含まれている。
皮層は呼吸している。 食物を口から摂収するように、皮層も呼吸することで、体外の成分を摂取している。
排気ガスにまみれた空気を口から呼吸しているなら、皮層も同じだ。 日ごろ使っているシャンプーや石鹸や洗剤、水さえもかなり影響しているはずだ。
皮層につけるものは、安全なものでなければならない。 アトピーだって、癌患者が多くなっているのだって、胎児奇形までも、それらの影響を反映していると言われている。
もしかすると昔は今のように、不妊症の数も多くなかったのかもしれない。 昔の人間の卵巣を開けてみて、髪の毛や歯が出ることはなかったのかもしれない。

(当たり前のことだが)食物や直接皮層につけるものは体に大きな影響を及ぼす。 無害を目指し、日々気をつけようとしても、現代の日本では川パーセント無害なんてありえない。
でも、できる範囲で気をつけていれば、案外、不妊症にもいい影響が出るかもしれない。 以上で報告を終了する。
しかし、これはあくまで私の憶測に過ぎないので、あしからず。 結婚式を四ヵ月後に控えた若いカップルがいた。
彼らは二十一歳の同級生。 若々しくさわやかな雰囲気に好感が持てた。
二人はどこに行くにも、病院に来るのも一緒だった。 二人が来院したのは七月だった。
他院から紹介状を持ってやってきた。 封筒の裏には、「泌尿器科外来担当先生御机上」と書いてあった。
封筒を持参した男性は、男性というよりは、男の子といった感じ。 髪を茶色に染め、GAPの帽子をかぶり、スニーカーをはいていた。
彼の少し後ろには、ワンピースを着た髪の長いきれいな子がいた。 「腰が痛いです」左の腰に手を当てながら、男の子は言った。

「痛みはそこだけですか?」「脇腹のあたりから腰にかけてです」「どれくらい前からですか?」「三〜四週間くらい前からです」今風のルックスから受ける印象とは対照的に、彼の口からは穏やかで丁寧な言葉が並べられた。 紹介状をドクターへ手渡す。
書面を確認するとすぐに、検尿とレントゲン、血液検査、それから腎臓のエコーが行われた。 「どのくらい痛いの?」たわいのない話をしながらドクターがたずねた。
「痛み止めを飲むと治まります。 痛みなんですかねえ、違和感というか変な感じです」「薬はどのくらい飲んでる?」主訴皿腰の違和感、痛み。
窓口で、紹介状がなく症状だけ聞いていれば、整形外科の受診を勧められていたかもしれない。 診察が終わると、ドクターは帰り際に彼に言った。
「気になることがあったら、いつでもいいから遠慮なく来いよ」「気になることがあれば、いつでもどうぞ」どの患者さんにもかけられる言葉である。 しかし、いつもと変わらないその言葉のなかに、私はなんとなく症状悪化の可能性を感じていた。
先輩もこのなんとなくを感じ取っていたようだ。 先輩と二人で翌日の業務の準備をしているとき、どちらからともなく、あのカップルの話が出た。
二人でコンピューターに登録されている彼の病名を確認する。 「痛いときだけです。
前は一日一回でしたけど、今は二回飲むこともあります」「そう…、痛み方というか、変な感じはひどくなってきてる?」「はい」それから二日後、次の予約日を待たずにあのカップルが来院した。 「あ、来たか。

どうした?痛みがひどくなってきた?」担当のドクターは二人を笑顔で迎えながら言った。 「はい、どうしてかな?」首をかしげる男の子。
心配そうにそばにいる女の子。 しかし二人はまだ、事態がそれほど深刻だとは思っていなかった。
すぐその日に、入院の予約を取った。 腰痛の原因を探るために。
腰痛の原因となるものが、どれくらい進行しているか確認するために。 二人は結婚式に向けて、着々と準備していた。
女の子は結婚を控え、退職したばかりだった。 そして目を見合わせた。
腰痛と血尿。 そして、腎孟悪性腫傷疑いか。
その週末、ドクターカンファレンス(会議)で今後の治療方針が立てられた。 手術と化学療法の併用。
本人より先に、男の子と女の子、双方の両親に説明がなされた。 両親は憎然とした。
男の子の両親は、「どうにかして助かってほしい。 助かるだろうか。

でも、本人には言わずにいてください」女の子の両親は、「どうやってこの事実をあの子に伝えよう。 結婚式の直前なのに。
この先、あの子は立ち直ることができるのだろうか。 私たちの口からは、とても伝えることができません。
先生のほうから時期を見て、あの子に説明してもらえませんか」それぞれが悲痛な言葉を残し、部屋を後にした。 「退院したらすぐに結婚式だね。
のんびりできるのも今のうちだけだね」会場や衣装も決め、招待状も刷り上っていた。 開腹してみると、病状は予想以上に進行していた。
手のつけようもなかった。 手術は予定よりもずっと早く終わった。
若干、二十一歳にして余命二ヵ月。 手術部に双方の両親が再度呼び出され、説明がなされた。

母親たちは泣き崩れ、父親二人は言葉を失った。 一方、女の子は、予定よりずいぶん早く病室に戻ってきた本人を見て喜んだ。
「ちょっと外に出てもらっていいでしょうか」手術当日。 「がんばってくるよ」「うん、がんばってよ」手を握り合い病室を出た。
手術部の入口まで、その手が離れることはなかった。 二人寄り添う姿が、病室にあった。
結婚式の招待状に宛て名が書かれ、あとは投函されるばかりになった。 そして二週間が過ぎた。
しかし、二週間が過ぎても手術の傷はよくならない。 それどころか日に日に病状は悪化し、体力が落ちていく。
私は、さすがに二人とも、現実を受け入れざるを得ないだろうと思っていた。 しかし主治医と二人の問では、「先生、良くなったら焼肉に連れていってくださいよ。
結婚式にも出席してくださいね」「ああ、いいとも」何度かそういう会話が交わされていた。 主治医は悩んでいた。
本当にこのままでよいのだろうか。 そうしているうちに口腔摂取が難しくなり、鼻から胃に栄養チューブが挿入された。

主治医はためらいながら、彼女に声をかけた。 説明を受けたところで、女の子が真実を受け入れることはなかった。
「でも、治るんですよね?化学療法を続ければ治るんでしょう?」彼女はただ、そう繰り返す。 その一週間後にチューブは抜去され、今度は静脈に直接注入するIVHが挿入された。
手や足の筋肉は、見る見る間に衰えていった。 椅子に腰掛け、今話していたかと思うと、ブラシと言葉が途切れ、倒れそうになる。
「いやぁああ。 しっかりして!」女の子が泣きながらすがりつく。
私たち看護婦は、そんな光景を目にするのが辛かった。